塩野毘沙門堂は平城天皇の大同4年(809)今から1160年前の創設と称されている。

当時無双の僧筑波山の徳一上人(とくいちしょうにん)が仏法興隆の志を抱いて諸国巡回の折当地を訪れて或る農家に宿り兼ねて信仰深い多門天の霊告によってその御影を模し一刀三礼の尊像を彫刻し国家護持のため小堂を建てて安置したものと伝えられている。

その後20余年を経て仁明天皇の承知3年(837)出羽の国守小野良実郷の宿願によって飛騨の工匠源五郎によって大堂宇が造営された。

爾来霊験益し現に地方の名刹として領主長井氏の崇敬も驚く長く法雨を注がれたのであったが650有余年を経て長享年間火災のため堂宇経蔵などすべて灰燼に帰するに至った。

後に延徳2年(1490)伊達尚宗の代に再建したのが現在の御堂であると伝えられ、今年で478年を経過したことになる。

又口碑には安然大師が塩野玉虫利右エ門(安部喜代夫氏宅はその跡)方に寓し毘沙門天の開眼供養を行って時沢に去ったと伝えられ、これが正しいとすれば安然大師の塩野に来たのは延期年間のことで徳一上人より凡そ数十年後のことで時代に隔たりがある。上杉家歴代の藩主もまた信仰深く社領50石を賜っていたが上杉家が半領となったので社領もまた25石に減らされた。元禄15年(1703)上杉綱憲国家安全萬民農楽を祈願して大修復を行ったことも記録に残っている。

近世に至っては大正11年(1922)大修繕を行い糀谷高橋いよさんが青銅の大灯籠を寄付されたが大東亜戦争に供出されて今は台座のみが残っている。

昭和43年8月明治100年を記念して茅屋根をトタン葺に改修し又地区内各種団体の協力を得て環境整備を行った。

別当は般若山延徳寺で祭礼は4月及び8月18日に行われている。

毘沙門天は福徳の守護神として又武神として、火伏せの神として世人の祟敬篤く遠くより来りて礼拝するものが多い。

我々の祖先はこの鎮守の森を心の寄り所として生き続けてきた。先輩の残された尊き文化財を護り、後世に残すのは我々の務めである。

「昭和43年発刊 塩井郷土誌 塩井公民館内塩井郷土誌編集委員会」より